Kaori Abe
阿部 カオリ
ワーキングホリデー

海外への熱が冷めかけた頃、先生に言われた一言が大きなきっかけに。

小学生のころから英語塾に通う。
英語が得意だった中学生の頃、海外ドラマの『ビバリーヒルズ高校白書』にどっぷりはまってしまい、アメリカの高校生に衝撃を受け留学したいと思い始める。

が、そのまま日本の高校に入学し高3の時に進路に留学も考えたが、あっさり親に流されてしまい、日本の大学へ。しかし、再び海外ドラマにはまる。 

留学への憧れが捨てきれずお金を貯めながら、こっそり留学計画を立て始める。このころ、英会話学校にも通い始める。(希望留学先は、もちろんアメリカ西海岸!!!)

だが半年程経った頃、9・11のテロが起こる。アメリカ留学は、ひとまず延期。

そんなこんなで一時期よりも留学熱が冷めており、正直日本での生活も楽しかったため、もうどうでもいいようにまで思っていて英会話のレッスンや宿題もいい加減になっていた時、先生から手紙を渡されました。 そこには、『チャンスは自分で作るものです!!』と書いてあり、がっつーんと頭をなぐられた感じがしました。 

それから自分の気持ちをはっきりさせるため、会社の長期休暇を利用しオーストラリアで10日間の短期留学をしました。 

そこで、出会った人たちの多くがワーキングホリデーという制度を利用してやってきていました。彼らの話を聞き、「これだ!」と思った単純な私は、帰国1年後、同じワーキングホリデーで海外へ行こうと思い、行き先を「アメリカに近い」、「オーロラが見たい」、「スノーボードもできる」、そして「英語が綺麗」なカナダに決めました!!

あの手紙の言葉がなかったら、今も留学してないかもしれません。(笑)
2004.3〜4
 バンクーバー入り、ホームスティしながら語学学校へ通う。
 イースターの休暇に、イチローを見に学校の友達とシアトルの旅行する。
2004.5
 ホームスティ終了、アパートシェアしながら語学学校通う。
 毎週末パーティーへ出かける。 学校の友達とロッキーへ旅行。
2004.6
 語学学校の3ヶ月が終了。週末は、パーティー三昧。
 語学学校の先生と友達になり、カナディアンの知り合いが増える。
2004.7
 バンクーバーでの生活にもすっかり慣れて、バイトを探し始めるが、
 このまま1年を、ここだけで過ごしてしまいそうと思い始めて、
 バンクーバー移動を決意!行き先は、渡航前から街の雰囲気憧れていた
 モントリオール。モントリオールの情報を集める。
2004.8
 モントリオールへ引越し。
 1ヶ月だけ、バンクーバーから探していったアパートに住む。
2004.9〜10
  ダウンタウンから30分の、シェアハウスに引越する。4人で住む。
2004.10〜11
 10月下旬〜11月中旬 カナダ、アメリカ(P.E.I、ハリファックス、N.Y、 フィラデルフィア、ワシントンDC、ケベックシティ、オタワ、トロント) のグレハン東部旅行に出かける。
 カナダは一人で周り、NYでシェアメイトと待ち合わせ、アメリカを旅行する。
2004.11
 もう一度、英語の勉強をするためバンクーバーへ戻る。 学校を探す。
2004.12
 会話クラブとTOEICの学校へ通う。週末は、スノボーなどで楽しむ。
 以前の学校の先生やクラスメートとも、再会。
2005.1
 TOEICの学校へ通う。毎日、図書館で勉強する。
2005.2
 日本から、友達が遊びに来る。一緒にイエローナイフにオーロラ鑑賞に行く。
 TOEICの点数も上がり始める。
2005.3
 モントリオールのシェアメイトが住む、ビクトリアへ旅行する。
2005.3
 日本に帰国

人との出会いを通して見えてきたもの

この1年で、色々な人に出会えたことに感謝します。また、人との繋がりって大事だなと思いました。英語の勉強も、人との付き合い方もすべて自分次第で変わってくるのです。積極的に、人(日本人、外国人問わず)と話して「開けてきたこと」もたくさんあったと思います。帰国して3年ですが、未だに連絡を取り合い、訪ねていくこともあります。

恥ずかしがっていては英語は話せない!

また、英会話の方も最初の頃は、話すのが恥ずかしいと思っていたぐらいですが、モントリオールに引越し、フランス語が話せない私は、英語で分かってもらうしかない!!と思い間違っていても平気だったような気がします。特に一人旅の時は、間違いもおかまいなしにしゃべっていました。笑) 帰国前にはクレームの電話などをできるまでに・・・とにかくこの1年、悔いなく楽しく過ごした気がします。また機会かあれば、海外に行きたいと思っています。

たくさんの人と出会い、色々なことにチャレンジしてください! とにかく楽しんでくださいね。